「凡人」が「成功した人生」を歩み続ける方法

「東大主席の人がさぁ、

『"7回読み"勉強法』って本を

出してるんだけどさ。

才能がない人は可哀想だよね、

7回も読まなきゃいけないなんて。

私はたった1回読めば

暗唱できちゃうもんな〜」

 

・・・えぇ、これは決して

Mr.Rの発言ではありません。

 

私が師事している3人の先生のうちの1人が、

さらっと言い放った、そんな発言です。

 

この発言を聞いた時の絶望感に、

共感してもらえるでしょうか?

 

東大主席ってのは、要するに、

たくさんの東大生の中でも、

もっとも成績が優秀な人の事。

 

フツ〜〜〜〜〜〜に考えて、

東大のTop of Topなんて、

「才能に恵まれている」と思うハズ。

 

しかしどうやら、違うらしい。

 

本当に才能が溢れる人たちからすれば、

たとえ東大のNo.1だったとしても、

「才能がない存在」らしいのだ。

 

・・・・・・。

 

少しだけ、

Mr.Rの「過去」を

話させてください。

 

私は、高校生のころに、

東京大学を目指して

勉強してました。

 

かつ、体育会系の部活にも入ってて、

練習で死ぬほど疲れた平日の夜でも

最低4時間の自宅学習を。

 

休日に関して言えば、

高校1年生の時点で

1日10時間以上の自習をしてました。

 

さすがに、

同級生の帰宅部ガリ勉メガネくんほどは

勉強できていなかったでしょうが、

「部活へ真剣に取り組んでいる同級生」

の中では、最も勉強していた自信があります。

 

すべては東大に現役合格するためです。

 

私は雪国出身です。

 

雪が積もってチャリが使えない冬の時期は、

母ちゃんに、毎日欠かさず、

塾まで送り迎えしてもらってました。

 

氷点下でクッソ寒い中、

冷え性なのにもかかわらず

一言も文句なく送迎してくれました。

 

受験生ために元旦から開いてる塾に、

高1の分際で通ってました。

 

正月に塾へ行ってた高1生は、

確か私だけだった気がします。

 

それほどまで、

高校の3年間ずっと、

獅子奮迅してたのです。

 

しかし、

東大には届きませんでした。

 

受験して不合格だったとか、

そんなレヴェルじゃありません。

 

3年間ず〜〜っと勉強し尽くしたのに、

「受験資格」すら手に入らなかったのです。

東大には足切り制度があるからね。

 

そんな私が、冒頭の発言を聞いた。

シビれたね。実にシビれたよ。

 

東大の「主席」に

【才能が無い】のだったとしたら、

 

その東大に、

かすりもしなかった「私」は、

一体なんなんだろうか。

 

そう。

 

「自分は非凡だ」と信じ続けていたかった、

【単なる凡人】に過ぎない人間が、

私だったのである。

 

正直な話をすると、

薄々、勘付いてはいた。

自分には「才能が無い」事に。

 

自分よりも勉強量の少なかった同級生が、

サクサクッと東大へ合格していったあたりから

何かがオカシイ事に気づいてはいた。

 

しかし、簡単には受け入れられなかった。

 

「自分は非凡で在りたい」という想いが、

【凡人である本当の自分】を押し殺した。

 

第3志望の大学に入ったが、

勉強が難しすぎてついて行けず、

大学2年生の時、落第した。

 

「あぁ。自分には勉強の才能、無いんだ」

 

そうして私は、落第した直後に、起業した。

 

不労所得ほしさに起業したんだけど、

今になって思い返してみると、

非凡であることを証明したいっていう

深層心理が働いていたように思う。

 

勉強の才能は無いかもしれないけど、

起業の才能なら、あるはずだ!!!!!

 

それを証明してやるために、

大学での勉強から逃げるような形で、

突然、起業した。

 

そして起業初年度。

 

結果は、散々だった。

この上なく酷い目に遭った。

 

もし仮に起業の才能があったのなら

絶対にやらないような大ポカを、

概ねやってしまったのではないか。

 

詐欺案件によって

何百万失ったのか、

もはや覚えていない。

 

設立した会社の株を100%全部、

他人に渡したこともある。

(マジでヤヴァすぎる)

 

キャッシュが底を尽きて、

線路に身を投げそうにまでなった。

(これウソ偽りない実話ね)

 

どう考えたって、

<起業の才能>も、

無いことが分かった。

 

分かったどころの話じゃない。

身に染みて理解した。

 

キャッシュが尽きて、

目の前が真っ暗になってようやく、

私は、自分のことを、

【単なる凡人】に過ぎないのだと

心から受け入れることができたのだ。

 

当時の私がエラかったのは、

「自分が凡人であることに卑屈になり、

才能ある人間を妬み、攻撃するような、

カスみたいな人生を送ってしまうこと」

を、決して選択しなかった事。

 

エラかったというよりも、唯一、

<卑屈にならない才能>を

自分は持っていたのかもしれない。

 

決して卑屈になることなく、

「生まれ持った才能がないなら

コツコツと頑張り続ければいいじゃない」

と、心の中のマリーアントワネットが

そう囁いてくれた。

 

天才になるのが無理ならば、

凡人の世界で輝ける人間になろう。

 

と、心に誓ったのだ。

 

・・・そう誓ってから、

かれこれ5年以上が経ちました。

 

今の私は、お世辞にも、

「眩しすぎるほどの輝き」

を放つほど、研鑽しきれていません。

 

研鑽しきれていませんが、

自分が心から望む<理想の生き方>を

歩み続けられるだけの力を得られました。

 

<生き方>の選択には、

どうしたってお金の問題が絡みます。

 

ある程度は自由にお金を稼げなきゃ、

「どのように生きるか?」なんてこたぁ

考えることすらできません。

 

日銭を稼ぐために

目の前の仕事を黙々と

こなさなければいけないからです。

 

私に才能は無かったけれど、

自分の人生が「お金」に支配される事だけは、

どうしても避けたかったのです。

 

凡人だけど、

自己実現する人生を歩みたい。

 

凡人だけど、

カネのためだけに働きたくない。

 

凡人だけど、

凡人のまま終わりたくない。

 

そーいう想いが

行動し続けることの

原動力だったのです。

 

私は、考えました。

 

「才能なき自分でも、

サラリーマンとして会社に骨を埋めることなく

お金を稼ぎ続けるには、どうしたらいいか?」

 

答えは、非常にシンプルでした。

 

「お金よりも大切な"何か"を、

他者と分かち合える存在になれるよう、

自分を磨き上げ続けていく」

 

ただこれだけだったのです。

 

お金よりも大切な"何か"

と表現したのは、

その正体を隠したいからではありません。

 

隠したいからではなく、

お金よりも大切なものは、

"いろいろある"からこそ、

そう表現せざるを得なかったのです。

 

例えば、「時間」。

 

サラリーマンの方たちは、

お金よりも大切な「時間」を

会社と分かち合うからこそ、

その対価として「給料」って形で

お金を稼げます。

 

もう既にお気づきだと思いますが、

「時間」以外の、お金よりも大切な"何か"を

他者と分かち合うことが出来さえすれば、

必然的にお金が集まってくるようになり、

お金の支配から解き放たれるのですよ。

 

私は、凡人でした。

 

凡人だったので、

それこそ起業初期なんかは

「時間」くらいしか、

他者と分かち合うものが

ありませんでした。

 

しかしれそれでは、マズイのです。

 

時間を分かち合うとは、

つまり命の一部を分かち合うことと

同義なのですから。

 

ゆえに、なんとしてでも、

時間以外の、お金よりも大切な"何か"

分かち合えるようになる必要があるのです。

 

私は、嫌でした。

 

「自分の時間しか分かち合えない凡人」

で終わってしまうことだけは、

どうしても、嫌でした。

 

だから、勉強しています。

才能がなかろうがなんだろうが、

勉強しています。

 

天才になるのが不可能なんてことを

重々承知した上で、

今もずっと勉強し続けています。

 

すべては、

お金よりも大切な"何か"を、

他者と分かち合うためです。

 

私は、自己投資しています。

 

起業初年度から今に至るまでずっと、

自己投資をし続けています。

 

当たり前です。

 

自己投資をすることで、自分が、

お金よりも大切な"何か"を手に入れて、

手に入れた"何か"を

他者と分かち合うという、

【好循環】を絶やさないためです。

 

私は、無駄遣いとか浪費を、

ほっとんどしません。

 

凡人だからです。

 

無駄遣いとか浪費って、

さっきの【好循環】を

ガラガラと崩壊させてしまいます。

 

無駄遣いとか浪費は、

【悪循環】への入り口となるのです。

 

悪循環に陥ってしまっては、

他者と分かち合える"何か"が、

手に入らなくなってしまうのです。

 

凡人は、凡人ゆえに、

いちど悪循環に陥ってしまったら

そこからなかなか抜け出せません。

 

だから凡人って、

いくらお金を稼げるようになっても、

【意味のあるお金の使い方】を

し続けないといけないのです。

 

私は、プロの凡人です。

 

「単なる凡人」のまま

人生を終えてしまうのが絶対にイヤだったので

コツコツコツコツと勉強を積み重ね、

【抜きん出たプロの凡人】を志向しました。

 

才能がないので、

本を1回読んだだけで暗唱できるとか、

そんなことは全くできません。

 

東大主席の人は、

「7回読み」するそうですが、

私は7回でも足りません。

 

10回以上読んでる本が、

何十冊もあります。

 

いわゆる「音声教材」については

未だに暇さえあれば必ず、

ワイヤレスイヤフォンで聞いてます。

 

特に重要な音声教材は、

どれも20回以上、聞いてます。

 

最低でも20回です。

ドン引きされるかもしれませんが、

累計100回を超えてるモノまであります。

 

効率の悪さに嫌気が差しますけど、

繰り返し繰り返し聞かないと

真の理解に至れないのだから止む無しです。

 

そんな感じで、

とにかく本気で、必死に、

勉強し続けました。

 

そうしたら、あら不思議。

 

いや実際はまったく不思議じゃなくて

【必然】としか言いようがないのですが、

 

凡人が成功を掴んでいくための理論を、

完ッ全に体系化できてしまったのです。

 

「必然」に決まってますよね。

 

凡人である私自身が、

成功への道を突き進むために

何年も試行錯誤してきたのですから。

 

で、だからこそ私は、

「コンサルティング」を

事業の中心に据え続けているのです。

 

とくべつな才能がなかったとしても

自分が心から望む<成功した人生>を

歩んでいくことはできるんだよ。

 

ってことを伝え、そして実際に

<成功した人生>を歩んでいきたいと願う人を

全身全霊でサポートしたいからです。

 

ネットビジネス業界って

「コンサルは労働集約型だから大変だ!

一刻も早く自動化して不労所得を作れ!

暇になれ!楽をしろ!」

という考え方が支配的です。

 

支配的ですが、それでも私は

コンサルティング業を辞める事はないでしょう。

未来永劫、続けていくと決めています。

 

きわめて高い【再現性】の中で、

人生を現実的に変容していく方法論

口伝で伝えていきたいのでね。

 

今、あなたはもしかすると、

「え?再現性が高いってことは、

Mr.Rのコンサルを受ければ

誰でもお金持ちになれちゃうの??」

と思ったかもしれません。

 

思ったかもしれませんが、

それは違います。

 

再現性が高いとは、決して、

「誰でも楽して成功できちゃう!」キャピキャピ

という事ではないのです。

 

一定程度の負荷を自分に課せるのなら、

十分な再現性のもとで、

成功していけるという事なのです。

 

残念なお知らせかもしれませんが、

自分に対して主体的に負荷をかけたくないのなら、

「成功」するのは不可能だと思っています。

 

・・・ぶっちゃけた話をすると、

 

私だって、自分に対して

主体的に負荷をかけ続けるとか、

イヤですよ?(苦笑)

 

楽してぐ〜たらしてても

成功した人生が手に入るなら、

負荷なんてノーサンキューです。

 

ノーサンキューなんだけれど、

主体的に負荷をかけ続けてでも

<手に入れたい人生>があるのです。

 

以上、私と同じように、

「凡人なのかもしれないけれど

理想の人生を希求したい同志」

にとって少しでも役立てて頂ければと思って

記事を書きました。

 

もし、道に迷いそうになったら、

私が主宰している無料コミュニティ

ペレストロイカ」へ来てみてください。

 

自己に対し主体的に負荷をかけられるあなたなら、

道を間違えさえしなければ、

必ずや全てが上手くいくでしょう。

 

それでは、

ありがとうございました!

 

Mr.R

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