「俺は...人を殺してしまったかもしれない...」
ー2017年の私に襲い掛かった出来事だー
Mr.Rです。
今日はどうしてもあなたに
お伝えしたいことがあります。
私がこれまでの人生でもっとも
「己の無力さ」
を痛感するに至ったお話です。
"己の無力さ"
私は自分自身があまりに無力だったことを
心の底から憎みました。
…今からお話しする
"ノンフィクションの物語"
を読んでもらうことで、
私がビジネスをテーマに情報発信している
「本当の理由」を知っていただけるはずです。
物語をお話しする前に、
とある前提を共有させてください。
私はもともと、
それこそビジネスを始める前から
「世の中を良くしたい!!」
「世界を変えたい!!!」
という欲求を持っていました。
例えば、
・戦争をなくしたい!
・カンボジアの子どもを助けたい!
・世界平和を実現したい!
などなど。
もしかしたらあなたも人生で1度は
「大きすぎる夢や野望」
を抱いたことがあるかもしれません。
しかし普通だったら
「どう考えても無理だよな」
と現実に戻るものですが、私は、
本気で世界をどうにかしたいと
思い込んでいたのです。
さらにいうと、
「俺ならどうにかできるに違いない!」
とすら思っていました。
今思うと、実に恥ずかしい勘違いですし、
こんなこと知られたくないぜ…
というのが本音です(笑)
まぁでも、
大きすぎる夢を抱くこと自体は
大変に素晴らしいことであることには
変わりありません。
実際にカンボジアに出向き、
ボランティアをする人とか
本当に素晴らしいなと思いますし。
でも、1つだけ問題があります。
あまりに大きすぎる夢で
具体的にどう実現すればいいか
サッパリわからず、
結局何もしないまま毎日を送ってしまいがち
ということです。
世界平和を実現させたいとか、
本当はスゴイ良い夢なわけですよ。
しかし現実問題、
どうやったら世界平和って
実現するんでしょう?
今でも武力による戦争ってありますけど、
どうやってその戦争を止めるのでしょう?
そう、"分からない"わけです。
分からないとどうなるか?
新しいことを何もできないまま、
ただただ毎日を送るだけの生活に
なってしまうんですね。
「世界を変えるどころか、自分すら変えられない」
という状態になってしまうのです。
実は私自身、
過去にそんな状態に陥っていました。
でかい夢は語るくせに、
家ではゲームばっかりやってるみたいなね。
ゲームで戦争がなくなるはずありません。
しかし、具体的に何をすればよいのか
分からないからゲームに逃げていたのです。
そんなダメ人間だった僕に、
自分の無力さを痛感させられる出来事が
2017年、襲い掛かってきました。
物語の始まりです。
==============
あれは10月のことだった。
とあるビジネスコミュニティで
知り合った先輩から、
沖縄旅行を誘ってもらった。
この時の僕はまだそこまで稼げておらず
あまりお金を使いたくないと思ってたので
「うー、旅費がもったいない…」
とも思ったが、その先輩ともっと仲良くなって
ビジネスを教えてもらいたかったので
沖縄へのお誘いに乗ることにした。
何気に人生初の沖縄である。
10月の東京は既に肌寒かったので
ふわふわのパーカーを着て
ピーチ航空の飛行機に乗り込んだ。
3時間ほどして那覇空港に着いたが、
まあ暑い暑い(笑)
沖縄が暖かいことは知っていたが、
10月とは思えないほどの暑さに
超ビビったのを覚えている。
ふわふわパーカーなんて着てたら
熱中症で死んでしまうので、
ソッコーで脱いで空港のゴミ箱に捨てた。
※ここだけフィクション・笑
そういえば、
半ズボンを持ってきてなかったから
那覇のイオンで買ったっけ。
まあそんなことはどうでも良い。
誘ってくれた先輩とは現地で合流したのだが、
小柄の女の子が先輩と一緒にいたのだ。
Mちゃんとしておこう。
もちろんMちゃんとは初対面。
お互いに自己紹介していると、
Mちゃんは青森から来たとのことだった。
先輩に憧れてビジネスをしたくなったらしく、
特別に連れて来てもらっていたのだ。
しかも先輩に旅費を出してもらってまで。
まあMちゃんは結構かわいかったので、
それに気が緩んで出してあげたのだろう(笑)
みんなで夏服に衣替えして、
沖縄在住の大先輩に車で迎えにきてもらい
それはもう存分に楽しんだ。
人生初の沖縄は本当に最高だった。
10月なのに海に入れるし、
というか海がキレイすぎるし、
バナナボートに乗ったり、
夜は海辺でバーベキューしたり、
沖縄料理を堪能したり、
人生トップ5に入るほどの楽しい旅行だった。
フーチャンプルーまじでうめえw
確か3泊4日の旅行だったと思うが、
最終日の夜に、僕はMちゃんと
急接近することになる。
まあ急接近とはいえ、
大恋愛に発展する展開ではないので
安心してほしい(?)
なぜだかはハッキリ覚えていないが、
僕はMちゃんと2人きりで
話すことになったのだ。
Mちゃんはすっぴんでもかわいくて、
2人で話すシチュエーション最高だな~
という下衆な考えをしてたことは
ここだけの話にしておいてほしい。
まあその後、
大人な雰囲気には
一切なっていないのだが(苦笑)
むしろそれとは逆。
僕はその時、
Mちゃんの壮絶な過去を
知ることになったのだ。
…Mちゃんは青森の家族から虐待されていた。
細かいことを書きすぎると
苦しくなってくるので全ては書かないが、
実家に暮らしながら大学に通っていたのに
朝ごはんも、夜ご飯も、
Mちゃんの分だけ用意されないのだ。
親から
「あんただけは本当に産まなきゃ良かった」
って何度言われたか分からないと言っていた。
本当に苦しい人生を歩んでいたのだろう。
だからこそMちゃんは、
ビジネスという自由で豊かな世界に
強烈に憧れたのだと思われる。
Mちゃんは地元の大学で
看護学を学んでいたのだが、
ビジネスの世界を知ってすぐに
中退していたのだ。
いやーこれには驚いた。
まだ稼げてないのに中退するとか
度胸が凄すぎる。
まあでも今ならわかる。
中退してでも実家から
出ていきたかったのだろう。
Mちゃんと2人で話し始めてから
2時間くらい経っただろうか。
僕はもう完全に
Mちゃんへ情が移ってしまった。
あまりにも可哀想すぎた。
なんとかしてあげたいと思った。
できることならなんでも協力しようと思った。
で、聞くところによると
Mちゃんは一刻でも早く実家を出て、
東京に住みたいとのことだった。
しかし、
東京で家を借りるお金がなくて
どうしようもないのだと言っていた。
完全に情が移ってしまった僕は、
Mちゃんが上京するための
援助をしようと考えた。
家を貸してあげる約束をしたのだ。
とはいえ男女で1Kの部屋に
一緒に住むわけにもいかないので、
僕が2つ目の家を新宿に借りた。
なぜ新宿かというと、
ビジネスが軌道に乗るまでの間に
Mちゃんがバイト先や、いろんなところへ
行くのには非常に便利だと思ったからだ。
初期費用とか
最初のうちの家賃は貸してあげるから、
バイト代が入って来たら少しずつ返してね、
みたいな約束をした。
家賃は8万だった。
この時の僕は、
ビジネスでそこまでたくさん
稼げてはいなかった。
自分のアパートの家賃にプラスして、
月8万を払い続けるのはさすがに無理。
でも東京ならバイトしまくれば
20万くらいなら絶対に稼げるし、
Mちゃんもすぐお金を返してくれて
自分で家賃を払ってくれるだろうと
期待していたのだ。
・・・。
もうお分かりだろう。
その期待は的外れだったのである。
Mちゃんは家賃を払ってくれるどこか
初期費用も返してくれなかった。
入金先の僕の口座を教えたが、
そこにお金が振り込まれることは
一度もなかったのだ。
嘘なのか本当なのかはわからないが、
バイト先の飲食店が
給料を払ってくれなかったらしい。
だからキャバクラのバイトをしてみたり、
コールセンターのバイトに行ったみたいだが、
きっと東京で1人ぼっちなのが
心にきたのだろう。
恐らくだが
Mちゃんはうつ状態になっていた。
「大丈夫~?」
ってLINEを送っても、
2週間、既読がつかなくなり。。。
僕は相当焦った。
まさか、人生を諦めてないだろうな。。。
さすがの僕もいろんなことが頭を巡り、
かなりパニックになった。
まずはMちゃんが無事であることを
祈るべきなのに、
「自分名義で借りたところが
事故物件になったらどうしよう・・・」
と考えてしまっていたのだ。
人は追い込まれると、
まともな思考ができなくなることを
僕は身に染みて理解した。
全く連絡が付かずさすがにヤバイと思い、
僕は新宿の家へ行くことにした。
あれは4月のことだった。
Mちゃんと沖縄で出会って半年も経っていた。
新宿に借りていたアパートの前に着き、
僕はまず、おそるおそる、
インターホンを押した。
ピンポーン。
ピンポーン。。。
3~4回ほど押しただろうか。
一向に反応がない。
なので僕は、
「たまたまMちゃんが外出している」
ことだけを祈りつつ、
合鍵を使い、ドアを開けた。
ガチャッ
ドンッ!!!!!
・・・・・・。
ドアが全開になることはなかった。
内側から、ドアロックがかかっていたのだ。
この恐ろしさを
想像できるだろうか?
内側からドアロックが
掛かっているということは、
間違いなくMちゃんは
部屋の中に居るということ。
それなのに、
LINEの既読がつかなければ、
インターホンに反応もない。
僕はマジでこの時に、
「最悪の事態」
を覚悟した。
ドアロックのせいで少しだけ生じる隙間に
鼻を突っ込んで、
「よくない臭い」
がしないかを確かめた。
…よかった。
ヤバイ臭いは一切しない。
ほんの少しだけ安心しつつも、
このまま放っておくわけにもいかないので
警察に相談することにした。
幸いアパートの近くに交番があったので、
僕はそこに駆け込んだ。
今でもその時の第一声は鮮明に覚えている。
「すみません、人が死んでるかもしれないです…」
さすがにおまわりさんも、
僕の第一声には相当驚いていた。
そうなってしまった経緯や事情を
嘘偽りなく全て話し、30代前半くらいの
ガタイの良いおまわりさんと一緒に、
アパートに戻ることになった。
おまわりさんも部屋の臭いをまず確認し、
「確かに臭いはしないですね」
と言った。
その後おまわりさんはインターホンを鳴らし、
ドアを複数回コンコンとノックして、
「警察でーす。大丈夫ですかー?」
と大きな声で叫んでくれた。
Mちゃんも警察ならさすがに出ないとまずいと
思ったのだろうか。
ボサボサの髪型、
パジャマ姿で玄関に姿を表してくれたのだ。
「人生で最も安堵した瞬間はいつですか?」
と聞かれたら、僕は絶対にこの瞬間を答える。
とにかく安堵した。
生きていてくれて良かった。
おまわりさんは、
「では、あとは2人で大丈夫ですか?」
と言ってくれて交番に戻り、
僕はMちゃんと2人で話すことになった。
これは本当なのか分からない。
Mちゃんのウソかもしれない。
真実は分からないのだが、
既読がつかなくなったその日、
Mちゃんの1番の親友である子が
亡くなったという連絡を受けたそうだ。
それであまりに深いショックを受け、
外に出ることも、
携帯を見ることも、
何もできなくなっていたのだ。
僕はその当時は、
Mちゃんを疑うことはしなかった。
本当のことだと信じた。
それゆえに、
Mちゃんがあまりにも可哀想で
言葉に詰まってしまった。
家族から虐待を受け続けたり、
親友が亡くなってしまったり。
きっとMちゃんは
「愛情」
がものすごく欠乏してるのだろうと直感して
僕は思わず、Mちゃんを抱き締めた。
恋愛感情でも、
下心でもなんでもない。
ただ純粋に、
「1人じゃないから安心してね」
ってことを伝えたくて、抱き締めた。
後にも先にも、
恋愛感情なく女性を抱き締めることは
もう2度とないだろう、きっと。
Mちゃんは泣いた。
ずっと泣き続けていた。
大泣きしているMちゃんを見ながら、
自分の無力さを呪った。
俺は、たった1人の女の子すら
救ってやることができないのか…。
2つのアパートの家賃を
払い続けるのは無理だし、
心に深い傷を負った女の子を
どう助ければいいか、
僕には全く分からなかったのだ。
とりあえずその日は新宿に泊まって、
次の日、警察署の生活安全課というところに
相談へ行った。
あの時に相談に乗ってくれた人、
すごい優しかったなあ。
結局僕は、
警察の人のアドバイス通り、
Mちゃんと一緒に新宿区役所へ行き、
Mちゃんの「生活保護申請」をしました。
助けるつもりだったのに、
僕は何もすることができず、
最後は国に頼るしかなかった。
情けない。
自分があまりにも情けない。
Mちゃんを区役所に引き渡した帰路で
僕は己の無力さを強く呪ったのだった。
物語はこれでおしまいです。
==============
ふう。。。
いかがでしたでしょうか?
今の物語は、実話です。
一切の脚色がありません。
Mちゃんの生活保護申請をして、
区役所の人に引き渡して以来、
私はMちゃんと会うどころか
連絡すら取っていません。
「カンボジアの子供たちを助けたい」
とか
「戦争で困ってる人たちを救いたい」
とか言ってたヤツが、
""たった1人の女の子""すら
救うことができなかったのです。
なぜたった1人の女の子すら救えない人間が、
カンボジアの子供たちを救えるのでしょうか?
救えるわけがないですよね。
私は本当にあの時、
自分の無力さに打ちひしがれました。
俺ってこんなに弱いんだ。
俺ってこんなに力のない人間なんだ。
と、何度考えたか分かりません。
そんな経験をしたからこそ、私は、
「まずは自分にできることに全力を尽くそう」
という考えに変わることができました。
できもしない世界平和の実現を
妄想するのではなく、
「できること」を日々全力でこなす。
そうやってしっかりと続けていけば、
もしかしたらいつか、
世界平和へ影響を与えるだけの力が
自分についているかもしれません。
だから私は1番最初に、
「ビジネスで十分にお金を稼げるだけの実力をつける」
ということに集中しました。
少なくともお金があれば、
自分の周りの人を
救える確率が高まるからです。
あの時、自分に十分なお金と知識があれば、
きっとMちゃんを助けられました。
助けられなかったのは、
人を絶望の淵から救うための
「知識」と「お金」が私になかったせいです。
だからこそ、ビジネスの勉強をして、
実力を身につけ続けていくことが
私の中で人生命題の1つになったのでしょう。
ちなみに、今の私は、
お金が原因とされる悩みは殆どなくなったので
もうちょい大きな夢を追いかけています。
その夢の先にあるのは
「幸せな人を1人でも多く増やす」
ということ。
ただし、世界平和よりはマシとはいえ、
それでも大きすぎる野望です。
だからこそ
今の私ができる最大限のこと、
すなわち・・・、
「ビジネスを永く続けられる実力を獲得し、
安心感と幸福に満ちた人生を送れる人を増やす」
ために情報発信をしています。
私がTwitterやブログ、メルマガをやっている
本当の理由です。
もちろんそれを続けていれば本当に
「幸せな人がどんどん増えていく」
ことに繋がるのかは分かりません。
しかし少なくとも、
「私の情報発信を追いかけてくれている人」
には素晴らしい人生を歩むヒントを
お届けできるはずです。
もし僕の情報発信がキッカケになり、
Aさんがとても幸せな人生を
送れるようになったとします。
そしたらAさんの周りが幸せになり、
Aさんがキッカケになって
Bさんも幸せになるかもしれません。
そうやって倍々ゲームみたいな感じで、
本当に幸せな人生を歩む人が
増えていったらいいなあと思います。
お金がたくさんあれば
確実に幸せになれるわけではないけれど、
お金があれば
「身の回りに起きる不幸」
は回避していくことができます。
だからこそ幸せの第一歩として
「ビジネスできちんと稼げるようになっていく」事が、
私は1番いいんじゃないかと考えています。
どんどん不幸が減ってゆき、
幸せに生きている人が
増えていくことが、
私の大きな夢の1つだったりします。
本日はこれで終わりです。
最後までお読みくださり、
ありがとうございました。
Mr.R
【追伸】
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